大阪地方裁判所 昭和59年(ワ)2380号 判決
原告
三宅芳子
原告
三宅幸信
原告
辻本恵美子
右原告ら訴訟代理人弁護士
真砂泰三
同
滝口克忠
同
鷹喜由美子
被告
大阪市
右代表者市長
大島晴
右訴訟代理人弁護士
千保一広
同
江里口龍輔
被告
医療法人仁和会
右代表者代表理事
和田忍
被告
和田忍
被告
中村賢吉
右被告ら三名訴訟代理人弁護士
小林淑人
被告
西北正男
主文
一 被告西北正男は、原告三宅芳子に対し、金一九八一万〇九九五円、同三宅幸信、同辻本恵美子に対し、各金九九〇万五四九七円、及びこれらに対する昭和五六年四月一九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らの被告西北正男に対するその余の請求を棄却する。
三 原告らの被告大阪市、同医療法人仁和会、同和田忍及び同中村賢吉に対する請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は、被告西北正男との関係で生じた分はこれを三分し、その一を原告らの負担とし、その余を同被告の負担とし、その余の被告らとの関係で生じた分は原告らの負担とする。
五 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは、各自、原告三宅芳子に対し、金三二四五万六一二七円、同三宅幸信、同辻本恵美子に対し、各金一六二二万八〇六三円、及びこれらに対する昭和五六年四月一九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 1項につき仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
(被告ら共通)
1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
(一) 原告ら
亡三宅伸(以下「三宅」という。)は大正一五年一一月二四日生れの男性で、昭和四九年から被告大阪市環境衛生局鶴見保健所(以下「本件保健所」という。)に勤務し、狂犬病の予防接種業務に従事してきた者であるところ、原告三宅芳子(以下「原告芳子」という。)は、三宅の妻であり、原告三宅幸信(以下「原告幸信」という。)及び辻本恵美子(以下「原告恵美子」という。)は、いずれも三宅の子である。
(二) 被告ら
(1) 被告西北正男(以下「被告西北」という。)は、本件保健所の職員であつた者である。
(2) 被告医療法人仁和会(以下「被告法人」という。)は、肩書住所地において、「和田病院」の名称で病院を開設する医療法人であり、被告和田忍(以下「被告和田」という。)は、医師で被告法人の代表理事であり、被告中村賢吉(以下「被告中村」という。)は、医師で中村外科医院を開業する傍ら、被告和田より依頼されて、和田病院の患者に緊急手術等を施行してきた者である。
2 本件殺人事件の発生
(一) 被告西北は、昭和五一年一二月ころから本件保健所の衛生班員として害虫の駆除等の業務に従事してきた。
本件保健所では毎年春秋の二回大規模な狂犬病の予防接種を実施してきたが、昭和五六年度もこれを四月八日から同月一四日まで実施し、この間、衛生班員である被告西北も応援のため右業務に加わつた。そして、四月一四日、右業務終了後の午後五時ころ、本件保健所内衛生班室において、右業務遂行上の反省検討のための打上会が開催され、右会には、所長中条悦次、環境衛生課長小倉博之(以下「小倉」という。)、三宅、被告西北ら合計二五名が参加した。
(二) 同会は同日午後六時三〇分ころ終了し、参加した三宅や被告西北らも右衛生班室から退去して事務室に移つたが、同六時四五分ころ、同室内において、被告西北が、小倉と歓談していた衛生班総主任砂川幸治(以下「砂川」という。)に対し、「タバコをくれ。」と声をかけて同人からマイルドセブン一本を受け取つた際、三宅もすぐそばから自己のハイライトを出して被告西北に勧めたところ、同被告は、三宅が仕事を手伝つてもらっているのに有難うなどの労いの言葉を言わなかつたことや職務分担についての不満が噴き出し、両者は口論となり、同被告は、所携の刃体の長さ約二〇センチメートルの刺身包丁(以下「本件包丁」という。)で三宅の左頸部を突き刺し、よつて同人に対し、胸鎖乳突筋切断並びに左内頸動脈及び上甲状腺動脈刺破の各傷害を負わせ、同月一八日午前一〇時ころ、同人をして死亡するに至らしめた。
3 本件診療事故の経緯
(一) 三宅は、右受傷直後の同日午後七時ころ、同僚の手配した救急車で和田病院に搬送された。
被告和田は、和田病院の救急処置室において、三宅の血圧を測定し点滴しながら同人の頸部損傷部位を診察した。ところで、前記のとおり、同人は左胸鎖乳突筋切断のみならず左内頸動脈及び上甲状腺動脈刺破の各傷害をも負つていたのであるが、その際、被告和田が測定した三宅の最高血圧はわずか六〇mmHgという極めて低い数値を示しており、しかも創傷の状況から鋭利な刃物による受傷であると認められたのであるから、被告和田としては、同人が右搬入時までに既に大量の出血をしていたこと、したがつて同人が筋肉のみならず頸動脈等を損傷していたことを容易に推認することができた。しかるに、被告和田は、その際、動脈性血栓が偶々左内頸動脈等の刺破部を遮蔽していたため、頸部からの出血がごく少量であつたことから、安易に頸部血管に損傷はなく皮膚及び胸鎖乳突筋切断の損傷があるにすぎないものと速断し、胸鎖乳突筋切断による全治一〇日という重大な誤診をなし、その結果前記各動脈刺破の損傷部位を放置したまま皮膚及び胸鎖乳突筋の切断部分のみを縫合する手術をしたにとどまつた。
(二) その後、三宅は点滴等の治療により一時最高血圧が六〇から一〇〇mmHgに上昇するなど一見経過が良好に見えたことから、被告和田はこれを同人の容態が回復に向かつているものと判断し、点滴のみを継続したまま同人を前記救急処置室から一般病室に移したが、その際、同人の左頸部に生じた前記血栓が右血圧の上昇及び同人の身体移動による衝撃等から血流に伴つて前記各動脈の刺破部から押し流され、そのため、同人は、同日午後九時五分ころ、右刺破部を経て左頸部から激しく出血をきたすに至り、その量は約一五〇〇ccにものぼつた。
(三) ここにおいて初めて、被告和田は三宅がその頸動脈に損傷を負つていることを認識するに至り、急遽、被告中村に対し、同人の再手術の執刀方を依頼し、被告和田、同中村の両名は、同日午後九時三〇分ころから和田病院の手術室において、被告中村の執刀、同和田の補助のもとで同人の再手術を開始し、被告中村は、三宅の左頸部損傷部分を切開して止血手術に取り掛かつたが、ここでも被告中村、同和田の両名は重大な過ちを重ねた。
すなわち、そもそも血管損傷による止血手術を行なう場合、大別して、血管の外壁に手術用絹糸を巻きつけてこれで血管外壁を結びつけてする結紮と、血管壁に手術用絹糸をかけてこれで血管壁を縫い合わせてする縫合の二通りの方法があるところ、頸動脈の止血手術の場合で被術者が年齢三〇歳以上の成人の場合には内頸動脈の結紮を行なうと内頸動脈の内腔が閉塞して大脳への血液の流れを阻止し、もつて脳軟化による死亡もしくは半身不随等を起こす可能性が極めて大きいので内頸動脈の結紮は極めて危険で厳に慎むべきであり、それゆえ縫合によらなければならないとされているにもかかわらず、被告中村、同和田の両名は、止血を急ぐあまり、それが左内頸動脈からの出血であるのに、内外両頸動脈のいずれであるかを十分に確認しないまま左外頸動脈からの出血であると誤認し、その認識のもとに実際には左内頸動脈起始部の刺破部を止血鉗子と四号絹糸を使用して結紮してしまつた。
そのため、三宅の左内頸動脈内腔が閉塞して血液の大脳への流れが阻害され、よつて同人は大脳半球の虚血症状を起こした上、脳ヘルニアにより、同月一八日午前一〇時ころ死亡するに至つた。
4 被告らの責任原因
(一) 被告西北
被告西北は、三宅に対し、故意に本件包丁で同人の左頸部を突き刺して左頸動脈刺破等の傷害を負わせ、もつて三宅を死に至らしめる直接の原因を惹起したものであるから、民法七〇九条の責任がある。
(二) 被告和田・同中村・同法人
(1) 被告和田は、前述したとおり、三宅の頸動脈刺破の事実を看過し、胸鎖乳突筋切断による全治一〇日と誤診し頸動脈等の損傷という重大な事実を確認・発見し、その後の適切な措置をなすべき注意義務を怠つたものであるから、この点において、被告和田には、外科医として重過失ないし準委任契約上の債務不履行責任がある。
(2) 被告和田、同中村の両名は、三宅の左頸部における右傷害の治療にあたり、同部位には左内頸動脈があり、これを結紮すれば血管狭窄による脳軟化症を起こして同人を死亡させる可能性が極めて大きかつたのであるから、右両被告は、結紮手術を行なう場合には外頸動脈であつて内頸動脈でないことを十分に確認し、また内頸動脈の場合には結紮によらずに血管壁の縫合の方法によるべき注意義務がある。しかるに、右両被告は右注意義務を怠り、前記のとおり、止血を急ぐあまり内頸動脈を外頸動脈と誤認して内頸動脈を結紮してしまつたため、それに起因する脳ヘルニアにより三宅を死亡に至らしめたものであるから、この点において右両被告には外科医として過失ないし準委任契約上の債務不履行責任がある。
(3) 被告和田、同中村の両名は、被告法人の経営する和田病院の理事もしくは被用者としてその事業の執行において三宅に損害を加えたものであるから、被告法人は民法四四条もしくは同法七一五条に基づき右損害を賠償する責任がある。
(三) 被告大阪市
(1) 三宅は、昭和五五年九月ころ、防災訓練の打上式の際、飲酒の上些細なことから砂川と口論になり、そのとき被告西北が昭和四九年八月ころから浪速保健所勤務時代から所持し当時本件保健所のロッカー内に所持していた匕首を持ち出し、他の同僚職員に取り押えられたことがあつた。その後、右匕首については、事後の危険防止のため、本件保健所庶務係職員杉本秀樹(以下「杉本」という。)が被告西北からこれを取り上げ、杉本個人所有の持ち物とともにこれを保管していた。
また、被告西北は、本件殺人事件で使用した本件包丁についても従前から他の同僚職員らに対しこれを護身用に使用する目的で前記ロッカー内に所持している旨言つており、被告西北がロッカー内に本件包丁を所持していた事実は、右同僚らを介し被告西北の直属の上司である環境衛生課長らも当然知悉していたところであり、あるいは少なくとも容易に知悉し得る立場にあつた。
(2) ところで、被告大阪市(以下「被告市」という。)のような公共団体は、その雇用する公務員が市又は上司の指示のもとに公務を遂行するにあたつては公務員の生命及び健康等を危険から保護するように配慮すべき義務(以下「安全配慮義務」という。)を負つているのであるから、被告市は、右安全配慮義務に基づき、被告西北のように過去において保健所で凶器を所持したことのある者に対しては、同被告の保健所内における言動・態度等に注意し、同被告が再度ロッカー内等に凶器を隠匿所持していないか否かを調査し、かつ将来においても所持することがないように注意して同被告を監督・指導し、同被告が再度包丁等の凶器で同僚職員を殺傷したりすることを未然に防止すべき義務を負うものである。
(3) しかるに、被告市は、これらの義務を怠り、被告西北が長期間にわたり本件保健所ロッカー内で本件包丁等の凶器を所持するのを放置したため、被告西北をして本件殺人事件を可能ならしめた。したがつて、被告市は安全配慮義務違反に基づき、三宅が被つた損害を賠償すべき義務がある。
5 損害
(一) 三宅の損害
(1) 付添費 金三万円
昭和五六年四月一四日から同月一八日までの五日間、原告らの付添費用を日額六〇〇〇円として計算すると、次の算式のとおり金三万円となる。
6000円×5=30000円
(2) 休業損害 金七万九八四五円
三宅は、死亡直前の昭和五五年五月から昭和五六年四月までの一年間に金五八二万八六〇四円の収入を得ていた。これに基づき入院期間五日間の休業損害を計算すると、次の算式のとおり金七万九八四五円となる。
(5828604円÷365(日))×5=79845円
(3) 入院雑費 金五〇〇〇円
三宅の入院雑費を日額金一〇〇〇円として計算すると、次の算式のとおり金五〇〇〇円となる。
1000円×5=5000円
(4) 逸失利益金三七五九万七一四〇円
三宅は、大正一五年一一月二四日生れで、本件殺人事件ないし本件診療事故当時五五歳の男性で、当時までは極めて健康であり、本件保健所勤務により、前記のとおり、昭和五五年五月分から昭和五六年四月分までの一年間の給与及び賞与として年間金五八二万八六〇四円を支給されていた。
そこで、三宅の逸失利益は、右年収から生活費三〇パーセントを控除した額を基礎として同人の稼働可能年数である六七歳までの間に得べかりし利益を計算し、その金額につき新ホフマン式(係数9.215)により年五分の割合による中間利息を控除して死亡時の現価に引直すと次の算式のとおり金三七五九万七四一〇円となる。
5828604円×(1−0.3)×9.215=37597410円
(5) 慰謝料 金二〇〇〇万円
三宅は、被告らの故意・過失に基づく不法行為ないし債務不履行により死に至らしめられたもので、その精神的苦痛は甚大であり、これを慰謝すべき金額としては右金額を下らない。
(6) 相続
三宅の右各損害賠償請求権につき、原告芳子は三宅の妻として、その余の原告らは三宅の子として、法定相続分に応じ、原告芳子はその二分の一に当たる金二八八五万六一二七円を、その余の原告らは各四分の一に当たる各金一四四二万八〇六四円宛をそれぞれ相続した。
(二) 原告らの固有の損害
(1) 葬祭関係費用 金一二〇万円
葬祭関係費用金一二〇万円は原告らがその相続分の割合により負担したので、原告芳子につき金六〇万円が、その余の原告らにつき各金三〇万円が、それぞれ各原告の損害となる。
(2) 弁護士費用 金六〇〇万円
原告らは、本件による損害について任意の支払いを受けることができなかつたので、原告ら訴訟代理人に本件訴訟遂行を委任し、その費用及び報酬として金六〇〇万円の支払を約束した。
弁護士費用は、原告らがその相続分の割合により負担する旨約しているので、原告芳子につき金三〇〇万円が、その余の原告らにつき各金一五〇万円が、各原告の損害となる。
6 よつて、原告らは、被告らに対し、共同不法行為に基づく損害賠償請求権に基づき、連帯して原告芳子については金三二四五万六一二七円、同幸信、同恵美子については各金一六二二万八〇六三円、及びこれらに対する不法行為の日の後である昭和五六年四月一九日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
(被告西北)
1 請求原因1の事実について、(一)、(二)(1)は認める。(二)(2)は知らない。
2 請求原因2の事実は認める。
3 請求原因3の事実は知らない。
4 請求原因4の事実のうち(一)は認め、(二)は知らない。(三)(1)のうち、匕首及び本件包丁は護身用に所持していたのではない。匕首は趣味の工作用に、本件包丁は家庭に持ち帰るため、一時的にロッカーに入れていたにすぎない。その余は知らない。(三)(2)、(3)は知らない。
5 請求原因5の事実は知らない。
(被告法人、同和田及び同中村)
1 請求原因1の事実について
(一)、(二)(1)は知らない。(二)(2)は認める。
2 請求原因2の事実は知らない。
3 請求原因3の事実について、(一)のうち、三宅が原告ら主張の日時ころに和田病院に搬送されたこと、被告和田が、血圧測定、点滴施行をなし、三宅の損傷部位を診察し、胸鎖乳突筋の切断部分の縫合手術を施行したことは認め、その余は否認する。原告らは三宅の左内頸動脈に損傷があつた旨主張するが、同人の頸動脈の損傷部位は左総頸動脈分岐部である。(二)のうち、三宅の血圧が上昇したこと、原告ら主張の日時ころに約一五〇〇ccの出血があつたことは認め、その余は否認する。(三)のうち、被告和田、同中村の両名が止血手術をなしたこと、三宅が死亡したことは認め、その余は否認する。被告和田、同中村は、三宅の左頸部損傷部位(左総頸動脈分岐部)の外科的止血を行ない、その血流のあることを確めて止血手術を終えたのである。
4 請求原因4の事実のうち、(一)、(三)は知らない。(二)は否認する。
5 請求原因5の事実は知らない。
(被告市)
1 請求原因1の事実について(一)、(二)(1)は認める。(二)(2)は知らない。
2 請求原因2の事実について 打上会の開始時刻、打上会の内容、被告西北の三宅との口論の原因及び同人に傷害を負わせるに至つた経緯は否認し、傷害内容の細部については知らない。その余は認める。
3 請求原因3の事実について 三宅が和田病院に搬送されたこと、同人の死亡及びその時刻は認め、その余は知らない。
4 請求原因4の事実のうち、(一)(二)は知らない。(三)は否認する。
5 請求原因5の事実は否認する。
三 被告法人、同和田及び同中村の主張
1 和田病院における診療経過について
(一) 三宅は、昭和五六年四月一四日午後七時ころ救急車で被告法人の和田病院に来院した。被告和田が診察したところ、三宅の左頸部に長さ約三センチメートル、深さ約四センチメートルの湾曲する切創がみられ、左胸鎖乳様筋の切断が認められた。同人は、泥酔状態で「畜生、殺してやる。」などと叫びながら動きまわりその衣服に血液が付着していたが、すでに止血している状態であつた。被告和田は、付添いの者に怪我の状況を聞いたが、言葉を濁し、結局詳しい受傷状況は分らなかつた。
(二) 被告和田は、動きまわる三宅を看護婦数人の介助により押えて、筋肉縫合及び皮膚縫合を施行し、来院時の血圧が低下していたため補液を開始した。来院時の血圧低下については、筋切断に伴なう出血があつたと考えられることと、アルコール摂取による末梢血管拡張が重なつたものと考えられたが、補液開始後、血圧は次第に上昇し、安定する傾向が認められた。なお、頸動脈の損傷については、前述のように、三宅が動きまわつているにもかかわらず出血がないことなどから、直ちに確認できなかつた。
(三) その後、三宅の血圧は一〇〇mmHg程度に上昇したが、同日午後九時ころ同人を病室に移してからまもなく、創口より約一五〇〇ccもの大量の出血があり、同時に悪心、嘔吐、意識障害が出現したので、直ちに止血手術を行なうこととし、創圧迫を行ない、補液を続ける一方輸血を開始した。
(四) 被告和田は、手術につき被告中村の応援を依頼したところ、同被告は直ちに来院し、笑気による全身麻酔を行ないながら創部切開のうえ止血手術を行なつたが、左総頸動脈の内外両頸動脈分岐部の血管壁の切破された箇所については、被告中村は、その部位を止血コッヘルで摘み上げ、糸で血管壁の一部を結紮して手術を終えた。その際、血流を全く閉塞するような結紮を行なつたものではない。
(五) その後、三宅は意識が回復することなく、翌四月一五日午前一時ころにはバビンスキー反射がみられるなど状態が悪化し、午前四時三〇分ころには自発呼吸が一時消失し、その余の症状からも脳障害が疑われるに至つた。そこで、被告両名は、午前八時一〇分ころ城北市民病院に連絡のうえ、午前八時四五分ころ同人を同病院に転送した。
2 被告らの責任の存否について
(一) まず、原告ら主張のような三〇歳以上の成人に対しては内頸動脈の結紮が禁忌に触れるというような考え方は現代の医学では採られていない。結紮自体が良いか悪いかの問題ではなく、いかにして大量の出血を止めるかということが喫緊の要務なのであり、動脈内腔の閉塞を特に懸念して結紮より縫合の方がよいというようなものでは決してない。場合によつては、内頸動脈からの血流を犠牲にしても止血手術をなし、その他の血流動態にその患者の神経状態の予後を期待するしかないこともあるのである。教科書的な理想をいえば、最小限度の狭窄しかもたらさずに止血の目的を達し、しかもその際の出血量が血圧の低下を来たさないような手術が望ましいということになろうが、本件のように、頸動脈から現に大量の出血を来たしている緊急の場合において医療措置が完全に理想的に行なわれることは不可能である。
(二) ところで、本件においては、被告和田、同中村のなした内頸動脈の結紮自体は適切な措置であり、三宅の死因は、左側頸部刺創による内頸動脈切破もしくは刺破による大量失血であり、同部手術の際も出血が続いているのであつて、右手術による内頸動脈の狭窄は直接的な原因ではない。そして、本件のような場合、治療にあたつた医師が理想的な措置を採り得るかははなはだ疑問であり、実際の医療場面においては一〇人中八、九人は縫合せずに部分結紮をするとみられ、しかも右結紮手術がなければ内頸動脈の血流不足を云々する以前に全身の失血状態で死亡することが必定である。
(三) 以上のとおり、和田病院における被告和田、同中村の措置には何らの過誤はない。
四 被告市の主張
1 被告西北が三宅に対し本件殺人事件を起こすに至つた状況
(一) 本件殺人事件は、昭和五六年四月一四日午後六時四五分ころ、本件保健所の事務室奥に設置されている応接セットの所で発生した。
(二) 本件殺人事件の発生原因、発生状況
(1) 午後六時四〇分ころ、三宅が右応接セットに座つてタバコを吸つていたところ、被告西北が誰とはなしに「タバコをくれ。」と寄つてきたので、三宅はハイライトを差し出したが、同被告は、「ハイライトは吸わん。」と断わつた。そこで、右応接セットの側にいた砂川がマイルドセブンを差し出したところ、三宅がしつこく自分のハイライトを渡そうとしたため、砂川が差し出したタバコに接触し、タバコが折れた。そのことから、被告西北は、三宅に対し、「何をするんじや。」と怒り出し、両人の間で口論となり、同被告が同人のネクタイをつかんで喧嘩が始まりそうになつた。しかし、側にいた他の職員らにおいて制止、仲裁し、右騒ぎは二、三〇秒で収まつた。その後、同被告は自己の所属する衛生班室に戻つて行つた。
(2) その後、数分して、事務室内で呼び声がしたので帰り仕度をしていた職員らが声のする方に振り向いたところ、前記応接セットに座つている三宅の左首筋から出血しており、被告西北がその側に呆然と立ちつくしていて、駆けつけた小倉に対し、「大変なことをしてしまつた。」と言つて、タオルに包んだものを差し出した。そのことから被告西北が本件殺人事件を起こしたことが判つた。
2 本件殺人事件前の打上会の概要
(一) 本件保健所では昭和五六年四月八日から同月一四日まで狂犬病予防注射事業を実施した。右狂犬病予防注射事業の実施は、鶴見区内一〇か所で一斉に行なわれるため、担当課職員のほか本件保健所の他の部署の職員も相当数動員され、衛生班員である被告西北も右事業に参加した。
(二) 本件殺人事件当日は右事業の最終日であり、当日、右事業関係職員全員が執務時間終了の午後五時一五分前に帰庁した。打上会は、右執務時間終了後の午後五時二〇分ころから本件保健所内衛生班室で始められ、午後六時二〇分ころ終つた。
(三) 右打上会は、右事業関係者が相互の慰労と親睦を図る目的で酒類及びつまみ程度で飲酒をする会合であり、その費用は本件保健所管理職数名の寄付金により賄われた。打上会がこうした性格の会合であり勤務時間外の行事であるため、自主参加で職務上の拘束力はなく、したがつて参加者は全職員四六名中右事業に関与した職員二二名のうちの二〇名と本件保建所長外四名の管理職員の計二五名であつた。会合は環境課長の簡単な挨拶に続き乾杯のあと参加者は適宜雑談しながら飲酒したが、参加者のうち八名程は途中抜けて退庁する状態であつた。
(四) 会合は終始和やかな雰囲気のうちに午後六時二〇分ころに終り、その後参加者は手分けして跡片付けをしたり事務室の自席で帰り仕度をしたり一服後帰宅すべく休憩したりしていた。そして、午後六時三五分には五名程の者が退庁し、その後の午後六時四〇分ころ前記のとおり被告西北が事務室へ入つて来て誰とはなしにタバコを所望したことに端を発し本件殺人事件が発生したものである。
3 被告西北の凶器所持について
(一) 被告西北は本件殺人事件で使用した本件包丁を本件保健所のロッカー内に置いていたとのことであるが、そのことを本件殺人事件前に知つていた職員は誰もいなかつた。被告西北は、本件包丁を知人の店で料理用として購入し自宅に持ち帰るつもりで本件保健所内の衛生班室にある自己の個人用更衣ロッカー中に置いていたもので、それも箱が壊れたためタオルで包んでいたので外見からは分からない状態で保管していたのであり、そのことを他の職員に話したことはなく、またタオルで包んで保管した後は一度も取り出したことはなかつた。
(二) 原告らは、被告西北が昭和五五年九月ころにも砂川と口論となつた際に右ロッカー内に所持していた匕首を持ち出したことがあるのを把え被告市の責任を論難するが、同被告は次のとおり反論する。
すなわち、昭和五五年八月下旬、鶴見区震災訓練に先立ち本件保健所のみでの演習日に勤務時間終了後同保健所内で約一六名の職員が集まりビールを飲んだ際、その終りころ被告西北と砂川との間で言葉の行き違いから口論となり被告西北が衛生班室の個人更衣ロッカーからタオルで巻かれた約二〇センチメートルくらいの物を持ち出してきたので、近くにいく同僚が制止し騒ぎに気づき駆けつけた事務職員が右タオルで巻かれた物を取りあげ騒ぎはすぐに収まつた。右事務職員は右タオルで巻かれた物をそのままロッカーの上部に放り投げたまま帰宅し、翌日夕方になりその中身を調べたところ匕首であることがわかつた。それで間違いがあつてはいけないと被告西北に返さず上司の山本裕一環境係長(以下「山本」という。)に報告し、山本より被告西北に対し厳重に説諭し、右匕首を処分した。なお、それまで被告西北が右匕首を所持していたのは、同被告は大工の経験があり工作用として使用するつもりで所持していたものであり、所持していることについて他に口外したこともなく、他の職員もそのことを一切関知していなかつた。
4 被告西北と三宅の職務内容等について
(一) 被告西北は、本件保健所環境課環境係に所属し、職種は一般作業員(衛生班員)で、環境課長、同係長の命を受け、また衛生班員の一員として衛生班総主任の命を受け、ねずみ及び害虫の駆除に関する作業を担当していた。
(二) 三宅は、本件保健所に所属し、職種は事務職員で、その事務分担は狂犬病予防法関係事務、猫の苦情処理、その他食品、環境受付事務で、これら職務を環境課長、食品関係衛生主査の命を受け、環境関係の受付事務については環境係長の命を受けて行なつていた。
(三) 右職務分担の関係から、被告西北と三宅との間には職務上何らの関連はない。
狂犬病予防注射の実施についても、被告西北ら衛生班員が動員されるについては環境係長が砂川総主任を通して職務分担の指示とか職務上の指導を行ない、被告西北と三宅とは右事業実施の間の二日間のみが同会場であつたが、両者は異なる業務を分担しており、三宅が被告西北に対し指示、指導するという関係はなかつた。
(四) 被告西北は、市民等に対し適切に応接し、職務にも積極的に取組んでおり、三宅とは親しく休憩時等にはよく話し合う間柄であつた。
5 以上を要するに、本件殺人事件は、
(一) 執務時間外の公務とはいえない私的な会合終了後に、
(二) 公務とは一切関係のない、被告西北と三宅間の個人的な、しかも偶発的で些細な口論を原因として突発的に起こつたもので、
(三) 当事者である被告西北と三宅とは職場では仲が良く両者間に本件のような不祥事を予測させるものは全くなく、
(四) 被告西北の日常の勤務状況からも同被告が本件のような不祥事を起こすことを予測させるものは一切なく、
(五) 用いられた本件包丁については、①公務遂行に供されるものではなく、被告西北の私物で偶々料理用として自宅に持ち帰るべく一時保管していたもので、②保管場所も私物等を保管する個人更衣ロッカーで、この管理は専ら職員の良識に委ねられているもので、みだりに職権で調査しうるものではなく、(3)本件殺人事件以前に被告西北が保管していたことを上司は勿論同僚さえも知らなかつたもので、このような物を被告西北が所持し、また凶器として使用することは、同被告の日頃の勤務状況等からは全く予測できなかつた。
という諸事情の下で発生している。
したがつて、本件殺人事件は、公務遂行とは全く関連のない、私的行為に基づくもので、被告市に安全配慮義務はない。また、本件殺人事件は偶発的事故であり、被告市においてその発生を予測しうる事情は一切存在せず、被告市にはいかなる注意義務違反も存在しない。
第三 証拠〈省略〉
理由
第一被告西北に対する請求について
請求原因1(一)、(二)(1)、2、4(一)の各事実はいずれも当事者間に争いがない。
右事実によれば、被告西北は、原告らに対し、不法行為責任に基づき、三宅の死亡による損害を賠償すべき義務がある。
第二被告法人、同和田及び同中村に対する請求について
一請求原因1(一)、(二)(1)の事実については、原本の存在及びその成立に争いのない甲第七五、第七六号証、第九三号証及び原告恵美子本人尋問の結果によりこれを認めることができ、、同(二)(2)の事実は当事者間に争いがない。
二請求原因3の事実(本件診療事故の経緯)について判断する。
1 争いのない事実
(一)のうち、三宅が原告ら主張の日時ころに和田病院に搬送されたこと、被告和田が、血圧測定、点滴施行をなし、三宅の損傷部分を診察し、胸鎖乳突筋の切断部分の縫合手術を施行したこと、(二)のうち、三宅の血圧が上昇したこと、原告ら主張の日時ころに約一五〇〇ccの出血があつたこと、(三)のうち、被告和田、同中村の両名が止血手術をなしたこと、及び三宅が死亡したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
2 三宅の診療の経過
前記当事者間に争いがない事実に、〈証拠〉を総合すれば、次の事実を認めることができる。
(一) 三宅は、昭和五六年四月一四日午前六時四五分ころ、本件保健所内において被告西北により本件包丁で左頸部を突き刺され、その場で相当量の出血をし、同日午後七時ころ救急車で和田病院に搬入されたが、搬入時は意識もあり、泥酔していて、処置台の上でも「畜生殺してやる。」など喚きちらしながら暴れ、看護婦数名により押えつけなければならない状況であつた。
被告和田は、本件保健所から駆けつけてきた三宅の上司らに同人の受傷状況を尋ねたが、右上司らは「ただちよつと……。」などと言葉を濁すのみで明確には答えなかつた。三宅の衣服には血が付着していたが、同人の傷口はタオルで押えられており、タオルを外しても血は噴き出さず、創口から少し出血している程度であつた。
被告和田が救急処置室で診察し傷を開いてみたところ、三宅の左頸部には長さ約三センチメートルの鋭利な刃物で切つたと思われる弁状の切創があり、指を入れたところ斜めに約四センチメートルの深さの傷であることが判つた。さらに、橈骨動脈(手首の動脈)を触診したところ最高血圧が六〇mmHgで、大量出血があつたであろうことが窺われたが、未だショック状態にはなかつた。
そこで、被告和田が直ちに局所麻酔をして筋鉤で引つ張つて傷口を開いたところ、左胸鎖乳突筋の切断が認められたが、切断されている筋肉から若干の静脈性とみられる出血が認められたものの外は左胸鎖乳筋の奥まで指で触りながら確認したが、出血箇所はなく、こうした止血状態及び三宅の意識状態等を総合し、同時に血圧低下の原因の一つとして飲酒の影響も考えられたので、同被告は頸動脈に損傷があるものとは考えず、切れている筋肉の縫合及び皮膚縫合を施行して手術を終えた(以下右手術を「第一回手術」という。)。
なお、血圧が低下していたことから補液を開始し経過を観察していたところ、血圧(聴診)は次第に上昇し、午後七時五〇分には最高一〇〇mmHg、最低七〇mmHg、午後八時一五分には最高九〇mmHg、最低七〇mmHg、午後八時二五分には最高一〇〇mmHg、最低七〇mmHgと安定してきた。
また、被告和田は、第一回手術後連絡を受けて駆けつけてきた原告恵美子夫婦に対し、全治一〇日間程である旨告げ、右夫婦が第一回手術を終えた三宅と話した際、三宅は自己の時計の紛失を心配してこれを右夫婦に預けるなど一応落ちついた状況であつた。
(二) 被告和田が三宅の血圧も安定してきたことから午後九時ころ同人を救急処置室から一般病室に移しベッドに寝かせたところ、間もなく突然同人の左頸部からシーツが血だらけになる程の激しい出血が起こり、その量は一五〇〇ccにもなつた。同時に、悪心、嘔吐、意識障害も出現したので、被告和田は止血手術を行なうこととし、ガーゼ等による創圧迫を行ない、補液を続ける一方、輸血を開始した。
なお、三宅の右大量出血は偶々損傷部位の血管の内腔に出来た血栓により止血していたのが、右血栓が同人の血圧の上昇と身体の移動に伴ない外れたために起きたものである。
(三) 被告和田は、直ちに従来から外科手術を依頼している被告中村に三宅の再手術の執刀方を要請し、同日午後一〇時三〇分ころから、被告中村が執刀し、同和田が麻酔を担当して再手術が開始された。
被告和田は、三宅の意識状態が悪かつたため、導入麻酔を省略し、笑気ガスのみによる全身麻酔を行なつた。
被告中村は、創部にあてているガーゼを少し緩めて力を抜くと傷の中が血であふれるような情況の下で、創部切開を行ない、周囲の筋肉を剥離して総頸動脈を摘み出し一時的に止血鉗子で押えて出血部位を捜したところ、その状態でも相当の出血がみられたが、外頸動脈から分岐している上甲状腺動脈が完全切断しているのを見つけたため、止血鉗子ではさんで血管の外周全周に二重にぐるりと糸を回して行なう結紮(以下「全周型結紮」という。)を行なつた。
さらに、総頸動脈の止血鉗子を外して出血筒所の有無を捜していたところ、被告中村は、総頸動脈から内頸動脈及び外頸動脈への分岐部の外頸動脈寄りに約一ミリメートルの切損箇所を発見したので、該血管の外壁の一部を摘んでこれに糸を回して行なう結紮(以下「側面型結紮」という。)をしたが、同被告は右切損箇所の部位を誤認しており、実際には切損箇所は右分岐部の内頸動脈寄りであつた。
その後中村は創部を縫合して、午後一一時三〇分ころ手術は終了した(以下右手術を「第二回手術」という。)。
なお、手術中の三宅の血圧は、手術開始時ころは最低血圧が測定できない程であったが手術終了時ころは上昇し最低血圧も測定が可能となつた。
(四) しかし、三宅は麻酔が切れた後も意識を回復することなく、翌一五日午前一時ころにはバビンスキー反射(最も鋭敏な病的反射の一つで、体路障害のときに足底の外側を打診槌把で引つ掻くと正常の場合と異なり足背に屈曲する現象)がみられ、当直医や被告和田らが吸引等の手当しかなす術がない状況の中、午前四時三〇分には自発呼吸が一時消失し、午前八時四〇分三宅は城北市民病院に転送された。
(五) 城北市民病院では三島泰彦医師(以下「三島医師」という。)が担当したが、入院時の三宅の意識状態は痛みに対して四肢は動かすが払いのける動作はないという状態で、昏睡状態で意識レベルも最悪に近く、生命も非常に危険な状態であり死亡レベルに近い状態であつた。
CTスキャン検査の結果等から左前頭葉の胸浮腫及び脳虚血を思わせる所見があり、三島医師は、同日緊急減圧開頭手術を行なつたが、三宅は、最悪の状態を脱することなく、四月一八日午前一〇時二九分死亡した。
以上の事実を認めることができ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
3 三宅の死因について
(一) 被告西北の刑事事件において捜査段階での鑑定をした大阪大学医学部法医学教室助手医師的場梁治(以下「的場医師」という。)の鑑定書(〈証拠〉、以下「的場鑑定」という。)によれば、三宅の遺体の解剖所見として、三宅の左頸動脈は、左総頸動脈分岐部で左内頸動脈の起始部の一部は手術的に結紮され右結紮部の内頸動脈起始部の内腔は強く狭窄を起こしており、右結紮部の上方及び下方に血栓が認められる、大脳は、全体に腫脹し特に左半球が強い、また、左半球全体にわたりクモ膜下出血を起こしている、右大脳半球は血量が乏しく、割面では左右とも実質内に点状出血が多数認められ、虚血による循環障害と考えられる、左大脳半球は広汎な軟化壊死を起こし融解状を呈している、こうした脳における病変の原因としては、内頸動脈起始部の刺破又は切破により多量に出血し、脳に不可逆的な変性を起こしたものと考えられ、右多量出血が三宅の致命傷となつたとされており、三宅の死因について、結論として「左側頸部刺創による内頸動脈切破もしくは刺破による大量出血と考えられ、その後同部手術による内頸動脈の狭窄による脳循環不全も若干の影響を与え、脳腫脹、脳軟化、脳実質内出血を続発して死亡したもの」としている。しかして、死因究明における剖見の重要性は多言を要せず、しかも的場医師は、和田病院及び城北市民病院のカルテも十分参酌し三宅の両病院における診療経過も把握したうえで鑑定に臨んでいるのであるから、的場鑑定の結果は、本件において三宅の死因を考える上でもその証拠価値は特に重視すべきものである。
(二) そこで、的場医師のいう「内頸動脈の狭窄による脳循環不全」の影響性が三宅の死因を考える上でいかなる意味をもつかについて考えてみる。
(1) この点について、まず、前記刑事事件の公判で鑑定証言(原本の存在及びその成立に争いのない甲第四六号証、以下「最上証言」という。)をした大阪大学医学部脳神経外科科長教授最上平太郎は、右鑑定証言の中で、同大学医学部法医学教室に保管されている的場医師による司法解剖の際の三宅の頸部血管の標本を現認しながら、三宅の総頸動脈から内頸動脈及び外頸動脈への分岐部の内頸動脈よりの部分(内径約四ミリメートル)に約一ないし三ミリメートルの損傷があつたものとみられ、同部の手術による結紮部分が血栓によつて詰まつており、一般的にかような血栓がある場合非常に強い脳浮腫を生じる可能性が高い、本件においても三宅の脳は写真で見る限りかなり腫れ上がつていた旨供述し、内頸動脈の狭窄が三宅の死因の一つであるかのごとき証言をしている。
しかし、最上証言は、同時に適切な血管壁の縫合手術をしていれば、三宅の予後はどうなつたかとの問いに対し、「くくつてしまうよりはましだつたとは思いますが、はたして一五〇〇も出血していてどうなつたかということですが、二度ともかなり大量に出血していますのでねえ……。ある程度以上貧血状態になりますと、全身の貧血状態ですが、全ての機能に及び、極めて問題になりますが……。」と答え、また、結紮による脳の虚血によつて人は必然的に死亡するのではないかとの趣旨の問いに対しても、「必ずしもそうとは言えませんが、血管を止めても低空飛行しながら元にもどることもあるのです。ですから、必ずしも全部だめになるとは言えないのです。」と答え、二、三日間程度の間に三宅の脳にみられたような左大脳半球の広汎な軟化壊死といつた状態が起きることは考えにくいと述べるなど、むしろ証言全体を通覧しても随所で三宅の失血死の可能性を強く示唆しているのであつて、結局、最上証言の趣旨は、単に一般論として内頸動脈の狭窄と脳浮腫との関係について述べたにすぎず、本件において具体的に結紮による内頸動脈の狭窄のみが三宅の脳浮腫ないし死亡の原因であることを肯定するものとはとても解し難いのであつて、最上証言は、的場鑑定の結論と矛盾するものではない。
(2) これに対し、被告和田・同中村の後医として三宅の診療に当たつた三島医師は、前記刑事事件の捜査段階における検察官の照会に対し、三宅の死因について、「死因は、左内頸動脈閉塞による左大脳半球虚血が起こり、脳ヘルニアをきたしたものと考えられる。左内頸動脈の閉塞と左頸部刺創との因果関係は不詳、一般的には総頸動脈の切損により内頸動脈が閉塞するとは考えにくい。」旨回答し(同医師の回答書、前掲甲第一〇六号証)、因果関係は不詳といいながら、出血による閉塞の可能性はないとし、結紮による閉塞のみが死因であるとの立場をとつている。
しかしながら、右回答書は、単に前記のごとき結論が記載されているのみで、その推論の根拠は明示されておらず、三島医師の刑事事件における公判証言(原本の存在及びその成立について争いのない甲第五〇号証)によつても、三島医師は、内頸動脈の閉塞部位を確認すべく三宅の左頸部の創を切開したが、結局確認できず、専らCTスキャン・血管撮影・脳波検査等といつた脳部の検査結果(城北市民病院における三宅のカルテ、前掲甲第一一〇号証)のみによる推論であると窺われ、また、同医師は、二度の大量出血により三宅の容態が非常に危険な状態になるとも供述しており、右大量出血と三宅の死因との結び付きについてこれを全く否定する訳でもないことが窺われ、しかも、被告和田・同中村と三島医師が前医と後医との関係にあり、三島医師が三宅の脳の病変を主眼に診療したことをも併せ考えると、前記回答書の死因記載の文言のみに必ずしも拘泥することはできない。
(3) このように見てくると、前認定・説示の諸事実を総合する限り、三宅は、被告西北に刺された時点で総頸動脈から内頸動脈と外頸動脈への分岐部の内頸動脈寄り(内径約四ミリメートル)の刺破又は切破により同部に長さ約一ミリメートルの損傷を生じ既に多量の出血をしたが、偶々右損傷部位の血管の内腔に出来た血栓により止血され、意識もあり、ショック状態にも陥らずにすんでいたのが、補液により血圧の上昇と身体の移動に伴い外れ、約二時間一五分後に再度約一五〇〇ccの多量の出血を生じ、この時点で二度にわたる大量出血によつて全身的な貧血状態を来したほか、内頸動脈の狭窄による虚血状態の影響により大脳に前記剖見所見にみられる病変が起こり、その結果この時点を境にして一挙に危篤状態に陥り、死の転帰をとるに至つたものと認められるのであつて、結局、前記の「内頸動脈の狭窄による脳循環不全」が死因の一つであるとしても、その主因は前記の二度にわたる大量出血にあるものと認めざるを得ない。
4 被告和田・同中村・同法人の責任原因について
(一) そこで、被告和田が第一回手術の時点において三宅の再度の大量出血を予見し、これを回避する適切な措置を採ることが可能であつたか否かについて判断する。
この点について、原告らは、被告和田が測定した三宅の最高血圧がわずか六〇mmHgという極めて低い数値を示しており、しかも創傷の状況から鋭利な刃物による受傷であると認められたのであるから、被告和田としては同人が右搬入時までに既に大量の出血をし、したがつて同人が筋肉のみならず頸動脈等を損傷していたことを容易に推認し得たのであるから右損傷部位を確認・発見すべき注意義務がある、しかるに被告和田は右注意義務を怠り、当時、三宅が、動脈性血栓が偶々左内頸動脈等の刺破部を遮蔽していたため、頸部からの出血がごく少量であつたことから、安易に頸部血管に損傷はなく皮膚及び胸鎖乳突筋切断の損傷があるにすぎないものと速断し、その結果、前記各動脈刺破の損傷部位を発見することなくこれを放置したまま皮膚及び胸鎖乳突筋の切断部分のみを縫合したにすぎず、この点において被告和田には外科医として過失ないし準委任契約上の債務不履行責任がある旨主張する。
しかしながら、まず被告和田が直ちに縫合に及んだことの適否について検討するに、最上証言によれば、最上教授は、三宅は、搬送時の血圧が六〇mmHgであり、頸部に長さ三センチメートル、深さ四センチメートルの創傷があつたのだから動脈性の出血があつたことが予想されはするものの、一般に臨床医としては頸部に損傷を負つた救急患者が来院した場合、動脈を切つていたらそう簡単には止まらないという頭があるので、その時点で上血していれば、一応傷口を縫合して経過を観察することになるであろうし、本件でも搬入時タオルで押えることにより止血していれば太い血管が切れているとは考えにくく、止血を確認して縫合し、その後輸血しても血圧が上がつてこなければ開けてみようかと考えるのが普通であり、自分がその場にいてもそういう処置を採つたであろうと供述している。
また、被告和田の血管の損傷部位の確認方法の適否について検討するに、的場鑑定によれば、的場医師は、搬送時止血を確認したのなら、さらに血管損傷の有無にまで詳しく検査すべきであるとは簡単にいえない。その理由として、通常外科医の場合、一旦止血しているものを、再出血することを予想してまでの処置はしないと思うし、血管に損傷があるといつても、その血管が末梢的なものであれば、血管自体の収縮力によりそのまま止血状態を保てるということはいくらでもあるからであるとしている。
また、本件において、被告和田が患者の三宅の左頸部の創傷自体は確認し得たとしても、前記認定のとおり、三宅は泥酔しその問診もできず、付添いの者からも受傷状況を聴取できず、結局三宅の創傷の発生原因について明確な認識を持ち得なかつた事情も看過することができない。
以上を要するに、前記認定のとおり、医学論として仮りに本件のような場合に再度の動脈性出血という危険が予見可能であつたとしても、具体的な症例たる本件において再度の大量出血を予見しえたとまでは断定することができず、救急処置の現場であつたことをも考慮すれば、被告和田が血管損傷を疑わず縫合したことをもつて一般の医療水準に照らして不適切な措置であつたとまでいうことはできない。
(二) さらに、原告らは、第二回手術について、被告和田、同中村の両名は、三宅の左頸部における傷害の治療にあたり、同部位には左内頸動脈があり、これを結紮すれば血管狭窄による脳軟化症を起こして同人を死亡させる可能性が極めて大きかつたのであるから、右両被告は、結紮手術を行なう場合には外頸動脈であつて内頸動脈でないことを十分に確認し、また内頸動脈の場合には結紮によらずに血管壁の縫合の方法によるべき注意義務がある、しかるに、右両被告は右注意義務を怠り、止血を急ぐあまり内頸動脈を外頸動脈と誤認して内頸動脈を結紮してしまつたため、それに起因する脳ヘルニアにより三宅を死亡に至らしめたものであり、この点において右両被告には外科医として過失ないし準委任契約上の債務不履行責任がある旨主張する。
(1) しかしながら、〈証拠〉を総合すれば、血管壁の一部損傷の場合の処置としては結紮と縫合の二通りの方法があるところ、いずれも血管内部に血栓が生ずる可能性はあるが、縫合の方がやや可能性が高くまた血管の損傷部位が大きい場合には縫合の方がよいとされていること、結紮の方法には全周型結紮と側面型結紮とがあるところ、内頸動脈の結紮において全周型結紮を行なう場合には血流の確保をしておかないと脳浮腫等の原因となり予後が悪いとされているが側面型結紮には右のような問題はないこと、及び、内頸動脈と外頸動脈の見分けに関しては外頸動脈は内頸動脈と異なり上甲状腺動脈等さらに枝分かれしている血管を有しているので通常両者を見間違うことは考えにくいこと、以上の事実を認めることができ、〈証拠〉中右認定に反する部分は前掲証拠に比照してにわかに採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
原告らは頸動脈の止血手術の場合で被術者が年齢三〇歳以上の成人の場合には内頸動脈の結紮を行なうと内頸動脈の内腔が閉塞して大脳への血液の流れを阻止し、もつて脳軟化による死亡もしくは半身不随等を起こす可能性が極めて大きいので内頸動脈の結紮は極めて危険で厳に慎むべきであり、それゆえ縫合によらなければならないとされている旨主張するが、右認定のとおり右主張は全周型結紮には当てはまる余地があるものの本件で行なわれた側面型結紮には当てはまらず側面型結紮は内頸動脈の結紮方法として十分に許容されているというべきであつて、側面型結紮をも含めて禁忌とする原告らの右主張は少なくともその限度で採用することができない。
(2) そこで、進んで被告中村が総頸動脈から内頸動脈及び外頸動脈への分岐部の内頸動脈寄りの損傷部位を縫合せずに側面型結紮したことの適否について検討する。最上証言によれば、結果的にみれば、被告中村が本件で採用した結紮方法は、血管の損傷の大きさが二、三ミリメートルくらいの場合の結紮方法であり、血管の損傷の大きさが約一ミリメートルとみられる本件ではややきつく結紮しすぎており、そのため内腔が詰まつたとみられる。教科書的な理想を言えば、血管の縫合が一番適切であつたのだろうが、大量出血を目前にして放置すれば患者が失血死することは間違いないのであり、果たしてそのような状態の中で落ち着いて縫合が可能かどうかは極めて疑問であり、一〇人の医師がいれば八、九人は実際には結紮するであろうと考えられる、結紮の程度についても、ややきつく結紮しているが、手術視野からどんどん出血が続いているのであり、止血が最大の急務である救急医療の実際としてはやむを得ないところである、と供述している。
また、〈証拠〉によれば、的場医師も、参考意見であるとしたうえで、縫合という方法は大きな血管の大部分が切れているような場合に行なわれるもので、本件で縫合をしなかつたことは特に問題視すべきでなく、結紮も側面型であるので適切な処置であつたと供述している。
(3) 以上によれば、被告中村は結紮部位を分岐部の外頸動脈寄りと誤認しており、損傷の大きさに比してややきつく結紮し、その内腔が詰まつており、これが三宅の死亡の一因となつている可能性を全く否定することはできないのであるが、結紮箇所を誤認していたとはいえ結紮方法は内頸動脈において問題のある全周型ではなく医学的に許容されている側面型を採つており、教科書的には縫合が理想的とはいえ大量出血中の緊急医療の実際においては結紮も十分に行なわれうる方法であり、さらに創傷に比しややきつく結紮していることも止血が最大の緊急事であつた本件では救急医療としてありうるというのであるから、結局いずれの点をとつても被告中村の右結紮が不適切であつたということはできず、本件全証拠によつても他に同被告の第二回手術に一般医療水準に照らして不適切な点があつたことを推認させる証拠はない。
(三) そうすると、三宅の診療経過において、被告和田、同中村に過失ないし債務不履行は認められず、これを前提とする右被告両名に対する原告らの請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないこととなり、右被告両名の責任を前提とする原告らの被告法人に対する請求も理由がない。
第三被告市に対する請求について
一請求原因1(一)、(二)(1)の事実は当事者間に争いがない。
二請求原因2の事実(本件殺人事件の発生)について判断するに、〈証拠〉を総合すれば、次の事実を認めることができる。
(一) 被告西北は、昭和五一年ころから本件保健所に勤務し、環境課環境衛生係の衛生班員として主に昆虫駆除の仕事に従事し、他方、三宅は、昭和四九年ころから本件保健所に勤務し、主に市民からの犬の苦情に関する仕事に従事してきた。
被告西北は、真面目に勤務し市民に対しても適切に応対していた。また、三宅が親しい友人も少なかつた中で、被告西北はむしろ同人に気をつかつて他の職員らよりは親しくすらしていた。
(二) 昭和五五年八月下旬ころ、本件保健所では鶴見区防災訓練に先立ち予行練習を行なつたが、同日執務時間終了後、本件保健所内において約一〇数名の職員がビールを飲む会をもつた際、右会の終りころ、被告西北と職員の砂川とが残つた冷えていないビールをどうするかなどという些細なことから口論になり、被告西北が衛生班の個人用ロッカーからタオルで巻かれた約二〇センチメートルの物を持ち出し、これで砂川を脅かそうとしたが、近くにいた同僚らに取り押えられ、庶務係の杉本が右タオルで巻かれた物を同被告から取り上げたため騒ぎはすぐ収まつた。杉本は当日は右タオルで巻かれた物をそのままロッカーの上に放り投げたまま帰宅した。
翌日、杉本は右のタオルで巻かれた物の中身を調べたところ、匕首であつたので、直ちに環境係長山本に報告した。山本は、被告西北を呼び簡単に説諭し、右匕首は返さない旨伝えたが、本件保健所所長、次長にも報告しなかつたため、他に何らの処分も行なわれなかつた。
なお、右匕首はその後杉本により保管されていたが、被告西北の本件事件発生後、杉本が山本と相談の上、警察に提出した。
(三) 昭和五六年四月八日から同月一四日まで本件保健所では狂犬病の予防注射事業を実施した。右事業には担当課職員のほか本件保健所の他の部署の職員も相当数動員され、被告西北も参加した。三宅と被告西北は右事業期間中二日間同一会場で仕事をしたが、その際両名の間に特にトラブルもなく、被告西北は三宅に対し仕事に関して特別の不満等を有していなかつた。
右事業の最終日である同月一四日の執務時間終了(午後五時一五分)後、本件保健所内の衛生班室で右事業の慰労と職員の懇親を兼ねて打上会が催された。右会の費用は本件保健所管理職数名の寄付により賄われ、出席者は右事業に従事した職員ほぼ全員及び所長ら管理職数名の計約二五名であつた。
右会では職員らは和やかな雰囲気の中で雑談、飲酒しており、何らのもめ事もなくすすみ、途中で所長他半数程の者は帰宅した。
午後六時三〇分ころ環境課長小倉の発声でお開きにすることとし、残つていた職員らは手分けして跡片付けをしたり帰り仕度をしたりしていた。そして、午後六時四〇分ころ、三宅が本件保健所内事務室の応接ソファーにすわつてタバコを吸つていたところ、三宅の側にいた被告西北が誰とはなしにタバコを所望したのに対し、近くにいた砂川が被告西北に近寄りマイルドセブンを差し出したので同被告はこれを受取つた、その際、三宅も同被告にハイライトを差し出し「これを吸えや」と言つたが、同被告はハイライトは吸わないと言つて断わつた。これに立腹した三宅がソファーから立ち上がり同被告に対し「俺のタバコが吸えんのか。」と絡みしつこく自己のハイライトを渡そうとしたため、同被告が持つていたタバコに接触しこのタバコが折れた。ここにおいて、同被告は三宅の右態度に極度に立腹し、「しつこいぞ、いい加減にせんか」と言つてやにわに三宅の胸倉をつかみ殴り合いの喧嘩になりそうになつたが、側にいた他の職員らが割つて入つたために、右騒ぎは一旦収まつた。
しかし、同被告は憤まんやるかたなく衛生班室の自己のロッカーに走り、そこから本件包丁を取り出し、午後六時四五分ころ、右事務室内に戻り、「こら、三宅」と言いながら右包丁で三宅の左頸部を突き刺し、よつて、総頸動脈分岐部(内頸動脈起始部)を切破し大量出血させ、三宅をして和田病院を経て転院先である城北市民病院において同月一八日午前一〇時二八分死亡するに至らしめた。
(四) 被告西北は昭和四九年ころ、本件包丁を料理用に、前記匕首を趣味の工作用に購入し、勤務先の保健所の自己のロッカー内に保管しており、本件保健所に転勤後も自己のロッカー内に保管していたもので、本件保健所内の者は、右匕首については前記前年の事件発生まで、本件包丁については本件殺人事件発生まで、被告西北がそれらを所持していることを誰も知らなかつた。
以上の事実を認めることができ、右認定に反する被告西北本人尋問の結果は前掲証拠に比照してにわかに採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
二そこで、被告市の責任(安全配慮義務違反)の成否について判断する。
思うに、被告市は、公務遂行に当たつてはその雇用している職員の生命、身体の安全を保護すべき義務を負うものといわなければならない。
しかし、反面、被告市が職員の個人の生活を尊重し、みだりにその生活に干渉するがごときことが許されないことは明らかであり、事故の発生が客観的に予測されるような特段の事情がある場合は格別、そうでない限り、被告市は、職員の指導にあたつては、原告ら主張のごとき職員の行動を逐一監視すべき義務はなく、右の安全配慮義務は、当該公務と全く無関係な、純然たる私的行為により発生する危険から職員の生命、身体の安全を保護すべき義務までも包含するものとは到底解されない。
これを本件につきみるに、前記認定事実によれば、本件打上会は執務時間外に行なわれたものではあるものの本件保健所の狂犬病の予防注射事業の慰労と職員の親睦を兼ねて催され同保健所長以下管理職も参加している会であるから、右会それ自体は同保健所の業務と関連するものであり、また、本件殺人事件は、右会の終了後に起きたものではあるが、未だ本件保健所内において職員一〇数名は跡片付けをしたり帰り仕度をしたりしている最中であつたのであるから、一般的な意味での被告市の職員に対する右安全配慮義務は未だ存続していたものというべきである。
しかしながら、前記認定事実によれば、本件殺人事件は被告市の公務遂行とは何らの関連性をもたない一職員の他の職員に対する純然たる私怨に基づく報復行為であり、また突発的な事件で予めその発生が客観的に予測されるような性質の事件とは到底解されない。したがつて、被告市にはこのような殺人事件の発生まで予期してそれを防止するための措置を講ずべき義務はなかつたというべきである。
ところで、原告らは、上叙のとおり、被告西北が前年の八月下旬頃職場内で匕首を持ち出した前歴のあることを把え、被告市は、被告西北のように過去において凶器を所持したことのある者に対しては、同被告の保健所内における言動・態度等に注意し、同被告が再度ロッカー内等に凶器を隠匿所持していないか否かを調査し、かつ将来においても所持することがないように注意して同被告を監督・指導し、同被告が再度包丁等の凶器で同僚職員を殺傷したりすることを未然に防止すべき義務を負うものである旨主張する。
なるほど、公務員の場合に限らず、一般に職場に匕首の存在すること自体極めて異常なことであり、前記認定事実によれば、前年の事件の際、上司たる山本は同被告に厳重な説諭もせず、所長、次長に報告することもせず、格別の処分もしないまま済ませてしまつており、このことは職場の規律保持の上でやや軽卒の謗りを免れないものというべきである。
しかし、だからといつて、山本は右匕首を被告西北から取り上げ同被告に対し一応説諭もしたのであるし、前記認定のとおり被告西北が本件包丁を所持していたことを知つている職員は誰もおらず、またそれを窺わせる事情もなかつたのであるから、山本らがそれ以上に原告ら主張のように、本来職員各個人の管理に委ねられている個人用ロッカー内の所持品検査等の措置を講じなかつたからといつて、直ちに安全配慮義務を怠つたということはできない。
したがつて、原告らの被告市に対する安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。
第四損害
以上によれば、三宅の死亡に基づく損害について責任を負うべきは被告西北のみということになる。
そこで、以下右損害につき検討する。
一三宅の損害について検討する。
1 付添費 金一万五〇〇〇円
前記認定のとおり、三宅は、昭和五六年四月一四日から同月一八日までの五日間入院しているところ、その間の付添費は一日三〇〇〇円、計一万五〇〇〇円をもつて相当と認める。
2 休業損害
原告らは、右五日間分の休業補償を請求するが、後記4記載のとおり死亡による過失利益を損害として算出、計上するのであるから、右請求は失当である。
3 入院雑費 金五〇〇〇円
三宅の入院雑費は一日一〇〇〇円、計五〇〇〇円をもつて相当と認める。
4 逸失利益
金二三六〇万一九九〇円
〈証拠〉によれば、三宅は、大正一五年一一月二四日生れで死亡当時満五五歳の健康な男子であつたと認められ、本件殺人事件によつて死亡しなければ、満六七歳まで今後一二年間は引続き稼働可能であつたものと推認するのが相当である。
ところで、原告らは、三宅が昭和五五年五月分から昭和五六年四月分までの一年間に給与及び賞与として被告市から金五八二万八六〇四円を支給されていた旨主張するが、右主張事実を認めるに足りる証拠はなく、本件全証拠によつても三宅の学歴は判然としないので、三宅の前記期間に得られたはずである収入の現在価格を昭和五六年度賃金センスにおける男子五五歳産業計、企業規模計、学歴計(年三六五万八九〇〇円)に基づき、三宅の生活費は年間を通じ収入の三割をこえないと認め、これらと右稼働可能年数とを基礎としてホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して(一二年に対応する単利年金現価係数は九・二一五一)計算すると左記計算式のとおり、三宅の死亡時における逸失利益は二三六〇万一九九〇円となる。
5 慰謝料 金一二〇〇万円
前記認定のとおり、三宅は些細な口論が発端となつて被告西北により左頸部を本件包丁で刺されて死亡したものであつて、その精神的苦痛は計り知れないものがあつたであろうとみられ、右苦痛に対する慰謝料は一二〇〇万円をもつて相当と認める。
6 相続
以上によれば、三宅は、被告西北に対し、合計三五六二万一九九〇円の損害賠償請求権を有することとなるところ、原告芳子が三宅の妻であり、その余の原告らが同人の子であることは当事者間に争いがないので、法定相続分に応じ、原告芳子はその二分の一に当たる一七八一万〇九九五円の、その余の原告らは各四分の一に当たる各金八九〇万五四九七円(円未満切捨)の各請求権を相続したこととなる。
二原告らの固有の損害について検討する。
1 葬祭関係費用
三宅の社会的地位、年齢等に鑑みると、同人の葬祭関係費用は六〇万円をもつて同人の死亡と相当因果関係にたつ損害と認める。
しかるに原告らはその相続分の割合に応じて右額を負担したというのであるから、原告芳子につき三〇万円が、その余の原告らにつき各一五万円が、各原告の損害となるというべきである。
2 弁護士費用
本件事件の難易、認容額等諸般の事情を勘案すると、本件において弁護士費用として認容すべき額は、原告芳子につき一七〇万円、その余の原告らにつき各八五万円と認めるのが相当である。
三以上によれば、原告らが被告西北に対し請求できる損害額は、原告芳子につき一九八一万〇九九五円、その余の原告らにつき各九九〇万五四九七円となる。
第五結論
してみれば、原告らの被告西北に対する請求は、不法行為による損害賠償請求権に基づき、原告芳子が一九八一万〇九九五円、その余の原告が各九九〇万五四九七円及びこれらに対する不法行為の日の後である昭和五六年四月一九日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから右限度でこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、被告和田、同中村、同法人及び同市に対する各請求はいずれも失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官久末洋三 裁判官小澤一郎 裁判官三井陽子)